限られている時間だからこそ。プラス1の価値を。

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はじめに

最初に言っておきます。自己顕示ではなく最近記事を書いていて楽しくなってきたということです。今日はあれを書こう、次はこれを書きたい。書いてるうちに刺激されて別のジャンルを書きたい意欲がどんどん出てくるということです。

このブログはWordPress初心者の私がカスタマイズ実践していく過程をまったり記事にしています。初心者なので分からないことは基本的にGoogle頼りですけれど、調べているうちに、あっ自分もあてはまる次はこれについて実践してみよう、書いてみようとなるわけですね。

実践記録は軸としながらも他のインスパイアされた内容に自分なりに考えてみたり、記事にしたりしてます。こんな事、何の意味があるのでしょうか?

始まりは自分のため

開設して間もないため当然アクセスも知れています。それでも止めないのはなぜか?
それは私の書く記事で誰かの助けになれば良いということ。それを目的に書いているわけではありませんが、自分と同じ境遇の人の一助にでもなれれば幸いです。
初心者を強調するわけでもなく、ただ実践した内容、特に失敗した経験を蓄積していけたら一助にはなるのかな?と。

世間一般では文字数は○○文字以上ないと読んでもらえないとか逆に△△文字以上あると読んでもらえないとか情報は飛び交っています。また、人に役立つ情報を発信しないとアクセス数は集まらないとかも。。。情報は供給過多でどれが正解かも分かりづらいですよね。

たとえば、フットサルを始めたいと思って情報を探すとします。道具の準備からトレーニング教室や気軽にプレイできる場所、大会など気になる情報の入り口はネットで探せばたくさん表示されますよね。それこそ不特定多数無限大といえるほど。ただ、参考にしてやってみて初めて情報通りにすると成功する、または失敗するということを感じるわけです。それを事前に知るのがレビューだと思いますが、あれも自分が実践していない時点ではまだ情報です。

考えるんだ、やってみなけりゃ始まらない

ようするに情報はたくさんあるけども情報を選ぶのは自分であって他人ではないということ。
ネットにある情報がすべてではないにせよ、たくさんあるので便利だと私も思います。ただ、あまりにもありすぎるので考える暇を与えてくれないとさえ感じる今日この頃。最近、内容よりもタイトルにインパクトがあるかないかで情報の善し悪しを判断してる気がしてます。限られた時間という制約がある以上、毎回すべてを読んでいるわけにもいきませんよね。

投機的にならないために

せっかく読むのだから刺激的な内容であって欲しい、あるいは役に立ったなぁと感心する記事が今までもありました。その時、そう思ったにも関わらず何を読んだのか忘れています。面白いものです。どんなに感動的な情報に出会っても忘れていく。脳の機能的には正常なのですが、なんとなく悔しいですね。

いつ、なにを読んでどんな観点で刺激を受けたのか?それを意識して記事を読む人ばかりではないと思います。時には流し読みが良い、記事の内容よりも見出しや目次が面白いなどのポイントがあっても良いですよね。

いつでも情報に出会えるという強みをもったWebにどんどん蓄積していけば別れてもまた出会える。せっかく限られた時間なのでより心豊かになるような情報に出会いたいし、私自身も発信できれば良いですね。それこそ投機的にならないように。

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